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Camp Drake ( リダイレクト:キャンプ・ドレイク ) : ウィキペディア日本語版
キャンプ・ドレイク

キャンプ・ドレイク()は、埼玉県和光市、同県朝霞市、同県新座市東京都練馬区にまたがる、アメリカ陸軍第8軍団〔2009年現在、第一騎兵師団はアメリカ陸軍第3軍に編入されている。〕隷下部隊、第一騎兵師団en:ウィリアム・チェイス将軍)が駐屯していた基地の名称である。旧米軍朝霞(あさか)キャンプ。施設番号はFAC 3048。
キャンプは「キャンプ・ノース()」「キャンプ・サウス()」から成る南北2つのエリアで構成されている。基地面積は約31.7平方キロ。一部地域を除き返還済みである。なおドレイクとは、1945年(昭和20年)マニラの戦いにて戦死した同騎兵師団大佐であったロイス・A・ドレイクに因む。〔http://www.usamcja.com/command_units.htm〕
== 返還概要 ==

*北キャンプは、ベトナム戦争からの米軍撤退を受けて陸軍部隊が1970年代前半に他の米軍基地へ移転し、代わって第5空軍第475基地航空団〔475th Air Base Wing〕の管轄下に置かれていたが、1976年(昭和51年)11月30日に変電施設〔現在、青葉台公園北側(税務署入口交差点付近)の留保地となっている場所に所在した。〕および給水施設、ならびに中心部分を除く401,246が返還された。なお返還された土地のうち未返還地区の縁辺部分に隣接する3,846m²の区域は返還時の取極めにより緩衝地帯として保持する目的で事実上米軍へ継続提供され跡地利用が留保・制限されていた。〔Authority:Facilities Subcommittee Memorandum FSUS-376-1913K(AF), 19 Feb. 1976, Subject:Partial release of North Camp Asaka, FAC 3048.〕
:1980年(昭和55年)12月19日には、県立朝霞西高の開校により、同校の校庭内に残存していたノースキャンプの給水施設(土地約80.94m²、建物約18.39m²ほか井戸、囲障等工作物)と地下に埋設されていた水道管の地役権が返還された〔Facilities Subcommittee Memorandum No.1458, 9 Sep. 1980, Subject:Release of a Portion of Land and Easement at Camp Asaka, FAC 3048 which was approved by the Joint Committee on 6 Nov. 1980.〕。
:残余の未返還地区である117,359m²は米空軍の自動デジタル通信網スイッチ施設〔Autodin(Automatic Digital Networkの略)のスイッチセンターとして使用されていた。かつて跡地内に残っていた「CAMP DRAKE ASC」の看板にある"ASC"とは"Autodin Switching Center"の略である。〕として使用されていたが、1980年代半ばまでに米軍の通信網やシステムが近代化されたことに伴い横田飛行場への機能移転が決定し、移転完了後の1986年(昭和61年)2月14日をもって北キャンプの全域が返還された。〔Authority:Facilities Subcommittee Memorandum No.1634, 17 June 1982, Subject:Partial release of Camp Asaka, FAC 3048, and Fuchu Communications Station, FAC 3016, which was approved by the Joint Committee on 1 July 1982.〕
*南キャンプは、1973年(昭和48年)1月23日に行われた日米安全保障協議委員会第14回会合において協議された「関東平野合衆国空軍施設整理統合計画(KPCP/通称・関東計画)」に基づき1973年(昭和48年)6月20日に南地区内のゴルフコース・リクリエーション施設・兵舎地区の大部分が返還されたのを始め1978年(昭和53年)7月10日までに現演習地である根津パーク地区、住宅地区、放送局地区、ベーカリー・製パン工場地区も順次返還され後は国有地などになる。このことから跡地には国の施設や公団などが多く建設されている事が特徴である。現在、和光市南地区にあたるAFN送信用アンテナが設置されている敷地が残るのみとなっている。〔横田基地周辺にアンテナ設置として相応しい土地がないためである。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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